Sotto

Vol.41

香老舗 松栄堂

畑元章さん

香りと記憶

おとなの背中を見て育つ

わが家は最近引っ越しをしまして、二世帯住宅になりました。出社前にお仏壇にお参りするのですが、子どもたちも自然とおりんを鳴らしたり、手を合わせるようになりました。まだ手を合わせることの意味を理解しているかどうかはわかりませんが、「今日はママに怒られました」、みたいな報告をしていて、思わず笑ってしまいました。僕もそうやって親や祖父母の背中を見ているうちに、自然と宗教心が身に付いていったような気がします。不思議なものです。

子どものころ、お盆や年末年始には祖母といっしょにお寺の行事に連れていってもらいました。いまでは僕が親として子どもを連れていくと、人見知りだった子が自分から周りの人に手を振るようになりました。地域の方や祖父母が関わることで、子どもたちに教えてあげられることの幅が広がる。僕自身もそうやっていろんなことを教わっていたんだなあと、急に子どものころの思い出がよみがえりました。

 

祇園祭の長刀鉾稚児として奉仕(1992年)。右手側は父・正高

 

祖父から受け取ったもの

江戸時代の中頃、宝永年間(1704~1711)の創業と伝わっています。先祖代々続く松栄堂で、祖父も父も事業を継承してきました。僕が子どものころは三世代がいっしょに暮らしていました。祖父と父は家に帰ってきてからもよく仕事の話をしていました。だんだん話が白熱して、ケンカになるんです。その横でテレビアニメを見て笑っているものだから、僕まで怒られることもありました。祖父からクリスマスプレゼントをもらうのに、畳に正座で、かしこまっていたこともよく覚えています。

中学生のときに、祖父とふたりきりでホテルのレストランに行ったことがありました。そのとき祖父から洋食のテーブルマナーを教わったんです。高校生のときにはドイツ製のカメラ「ライカ」をくれました。そのころから、少しずつ大人の扱いを受けるようになった気がします。いずれは会社を継ぎなさい、みたいな言葉を言われたことはなかったけれど、祖父はいろんな学びのチャンスを与えてくれたと、いまになって感じています。

 

祖父・茂太郎と。ドイツ土産のライカで撮った一枚(1996年ころ)

 

記憶の中から、何を残すか

もうひとつ思い出しました。祖父から父へ、父から私へと受け継がれている教えのひとつに、書類へのハンコの押しかたがあります。朱肉を使うこと、押す前に必ずハンコの向きを確認すること。あたりまえのことかもしれませんが、いまでもきちんと守っています。

僕自身の性格は内向的で、石橋を叩いて渡るタイプ。父からは、「いざというときに、何を残すかを考えておきなさい」と、言われたことがあります。学生のころは家業を継ぐことや、働くことに深く悩んだ時期もありましたが、この問いと向き合いながら日々を積み重ねていきたいと思っています。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

Share

So storyでは
読者のみなさまのご意見、ご感想をお待ちしております。