Sotto

Vol.34

リブラン

鈴木雄二さん

僕の恩返しのかたち

受けた恩は若い人たちに返す

55歳で引退する。それは会社のみんなにも伝えてあります。以前、四国のお遍路に行ったときに、地元の方々にものすごくお世話になった。一日30kmくらい歩いて、疲れて果てて道端で休んでいると話しかけてくれる。食べ物をくれたり、応援してくれたり。行く先々で出会う親切な方々のおかげで自分は1,200kmも歩きとおせたんだと、あとになって気づきました。

自分は今まで、まるっきり見ず知らずの人にあんなに親切にしたことがあっただろうか――。いつかこのご恩を返したい。でもどこのだれともわからないし、連絡先を交換しているわけでもないから、返しようがなかった。だから、このご恩を違う場所で、違うかたちで返していこう。それが、夢に向かって挑戦する仲間が集まって一緒に暮らす家、「Tokiwa -Sou(トキワ・ソウ)」をはじめるきっかけになりました。

若い頃は夢があっても生活のためのお金を稼いでいくので精一杯。やりたいことがあったはずなのに、いつの間にか忘れ、夢が喪失されてしまう現実がある。でも、生きるために稼がなくてはいけない条件がなくなったときに、彼らは夢を追い続けられるのか。僕自身も、そこになにがあるのか見てみたい。家賃も食費も生活費は無料。夢のために全力で挑む環境を提供する。これが僕の恩返しのかたちです。

 

夢への挑戦者たちが住む、無料シェアハウス「Tokiwa-Sou」

 

父にはいつまでも反抗

僕は幼いころからとにかく悪さばかりしていたので、父にはよく怒られていました。小学生のとき、流行っていたインベーダーゲームがどうしてもやりたくて、父のスーツのポケットから小銭を。それがだんだんとエスカレートしたものだから、父もそれに気づいたんです。ある日、自転車のうしろに乗せられて荒川の土手に連れていかれてね。そのまま父は帰ってしまって、土手に捨てられました。

大人になってからも、会社の経営方針で意見が合わなくて、いつもケンカしてる。お互い譲らないから。ずっと反抗期ですよ(笑)。経営者としての考え方も違うし、世代の違いもあります。でも、この反骨心がないと、いい会社にはならないんですね。

 

息子として、父・靜雄の姿を追い続ける(ドキュメンタリー映像『哀しみは悲しみのなかで』より)

 

最低の父親、だけど

父と一緒に酒を飲んだのは一度だけ。ふたりで話すとかならず仕事の話しになって、対立してしまうから。父と僕は理念を共有しつつも経営方針は違うし、それがいつかわかり合える日が来る、とも思えない。話せばわかるというのは幻想にすぎません。でも、心の奥にある「何か」を感じとることができる。

父は自分自身がいつか旅立つときに、「息子の手を握って、というのはまずいから」と。父親としては、最期に息子に手を握ってもらいたいという、心の奥底にある願望。でもそれを直接息子に懇願することはできない。そんな父の気持ちを、僕はとても理解できる。子どもが成長して、親が死んだあとも、自分の力で生きていくために必要なことは父から教わることができたと思っています。大切な人たちや、誰かにしてもらったことって自分の中に残り続けますよね。衝突することは多いけれど、僕にとって父は宝です。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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