Sotto

Vol.28

茶わん家

阿部春弥さん

自然に想う、父のこと

父との距離が近づいた

父とはお互いのあいだに壁というか溝がありました。父も焼きものの仕事をしていたから、先輩後輩の間柄。父はとても繊細な芸術肌で、自分の世界をもっている人。僕とはまったく違うタイプです。父は言いたいことがあるけど、僕は言われたくない。歩み寄れない関係が最近まで続きました。

子どものころは父の手伝いをしなくてはいけなかった。素焼きができたらスポンジで水拭きをしたり、窯から出てきたら底のざらつきを取り除いたり、完成品を梱包したり。仕事となると怖い父親だったから、なるべく見つからないように、目立たないように過ごしていました。どんな距離感で付き合っていいのか、僕が理解できなくて。

でも2年ほど前に父が病気になってから、急に話ができるようになった。気持ちはすっかり離れていたはずなのに。今年で72歳。半世紀以上仕事をしてきた父の人生があと数年だとわかったときに、自分だったらどうだろうかって。実際に死が迫ったときになにを考えてどう生きるのか、はじめて死生観を考えた。父の最期をちゃんと見ておこうと思いました。

 

日々の暮らしのなかにある器をつくる

 

子の気持ち、父の気持ち

子どものころから、「自分で気づいて行動しなさい」と父に言われてきました。庭の草が伸びてきたら、誰かに言われるまえに草刈りをしなさい、と。これは結婚したあとの話ですが(笑)。でも、そうやって実際に行動できることは、自分の武器になる。自分が父親になって、こんどは子どもたちに同じことを言っています。表現が厳しかっただけで、父も僕のことを大事に思ってくれていたのだろうと、ようやく理解できるようになりました。

父は母といっしょに東京から上田に移り住みました。知り合いがだれもいない土地で、焼きものの仕事一本で4人の子どもを育てた。逃げ道はない。必死だったと思います。だからこそ、僕たちにも厳しかった。自分が大人になったいま、身近に口うるさい人がいるのはありがたいなとも思います。

高校卒業後、僕は焼きものの学校に進むことにしたのですが、そのことについて、父にはいっさい相談しませんでした。父からなにか言われた記憶もありません。でも、二十歳のころかな。ある日突然、父が万年筆をくれたんです。本人がずっと使っていた万年筆。もう20年くらい経ちますが、これからも使い続けるつもりです。父が大事にしていたことを知っているから、その気持ちは受け継ぎたいなって。

 

父から譲り受けた万年筆

 

仕事をする父の姿

いまの僕は、子どものころに見ていた父の仕事のしかたをなぞっているような気がします。真似ではなく、父がやっていたことの積み重ねの上に、自分のやりかたがある。焼きものの道に進んだときよりも、それからひとりで仕事を始めたころよりも、いまのほうが楽しいし、仕事が好きです。

一日の夕方、早めに作業が終わりそうなとき、ちょっと時間ができたとき。父はいまどうしているかな、会いに行こうかなと、ふと思います。いままで距離を置いてきたことへの罪悪感かもしれないし、できた息子じゃなかったなという思いもあるし。ついこのあいだまでは、雪が降ったり草が伸びたりするたびに、父の小言を思い出していたんですけど(笑)。いまは自然に、父のことを思い浮かべるんです。

父は、また自分で焼きものをつくったり絵を描いたりできると信じて治療を続けている。だから、その思いが叶うといいなと僕も思います。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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