Sotto

Vol.26

住職・建築士

武山一堂さん

大きな時の流れを感じながら生きてゆく

心に残っていた父の言葉

安倍川を見渡せる自然豊かな山の中腹にある秘在寺の長男として生まれました。父は住職のかたわら、座禅指導の講師として長年学校に勤めていました。檀家さんの少ない小さな寺ですので、「生活を成り立たせるためには、なにか別の仕事もしなければならない。でも自分がやりたいことの時間がとれるお寺だよ」。そんなふうに聞かされてきました。跡を継ぐことも強く求められることはなかったので、子どものころから興味のあった建築を学びました。大学を卒業後、ハウスメーカーや工務店、最後は都内の設計事務所に勤めました。

小さなころから8月になると、父と檀家さんのお宅へお盆のお経まわりをしていました。それは学生のときも、就職してからもずっと変わらず、毎年お盆の時期には地元に帰って、檀家さんをまわって、お経を唱えてを繰り返してきました。それがいつものように静岡に帰ってくると、あるときから山々の緑はこんなにきれいだったかな? 安倍川はこんなに美しかっただろうか? そんなふうに感じるようになりました。

10代のころは田舎に閉塞感を感じ、もう少し都会に住みたいと思っていましたが、ふと、今まで感じることのなかった感情が湧いてくるようになりました。30歳になるころ「ここに帰ってきてここで生活したい」そう考えるようになり、子どものころ、父に聞かされた言葉を思い出しました。そして地元に戻り、秘在寺に入ること、設計事務所を始めることを決めました。

 

 

安倍川を望む、自然豊かな土地で生きてゆく

 

お寺のかたち~仙台からインドへ~

僧侶と設計士の道を歩き始めたころ、秘在寺は本堂の建て替え計画の最中で、檀家さんから「副住職が設計士であるのなら、設計をやってみたらどうか」と言っていただき、本堂の設計を任されることとなりました。設計をあれこれ考えているときに、東日本大震災が起こりました。ボランティアとして訪れた仙台では、崩れ、流されてしまった、たくさんのお寺やお墓を目の当たりにしました。そこにはかつてあったであろうお寺の「かたち」は見る影もなく、連絡先の電話番号が書かれた看板がポツンと立てられているだけ。ブルーシートや仮設のテントでこしらえた、家族を探す人々や手を合わせる方々の祈りの場がありました。

設計に悩み、何かヒントがあるだろうと仏教の生誕の地インドへお参りにいくことにしました。日本の京都・奈良のような繊細な建築物はなく、レンガが積まれただけの場所や、ただの空き地のような場所ばかりだったことにとても驚きました。でも、そこに世界中から仏教徒が集まり、一生懸命に祈りをささげていました。そんな姿を見たときにあらためて「大切なのはその姿、かたちではなくてそこで何ができるか」であることに気づかされました。

新しい秘在寺もこういう場所でありたい。お寺はこうあるべきという考えにとらわれず、そこに集う人たちが、心地よく過ごせることを大事にしたいと考えたのです。

 

 

本堂天井のデザインはハスをモチーフにしている

 

次の世代へ、想いをつなげる

ここは小さな集落の地域で、小学校の全校生徒は15名です。地域の子どもの顔もみなわかりますし、どの子どもたちも大切な存在です。お盆の時期になると、今度はわたしが長男を連れて檀家さんのお宅へお経まわりにいっています。みなさんがとても喜んでくれ、迎え入れてくれます。かつてのわたしも、そんなふうに見守られていたんだ。そう感じます。わたしに優しく声をかけてくれたおばあちゃんが亡くなり、今度はその下の世代の檀家さんが息子を見守ってくれている。わたしの家族もこの地域も大きな時間の流れの中で、その想いが巡っていくように感じています。

時代とともに子どもが少なくなり、ここを離れる人も多くなってきました。わたし自身は、一度離れたことでこの場所の魅力に気づくことができました。次の世代の子どもたちのために、今度はわたしがこの場所の魅力を伝えていけるよう尽力したいと思っています。

 

 

 

 (聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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