Sotto

Vol.13

シンガーソングライター

白井貴子さん

ファミリーツリーをつないでいこう

いつもそばにいてくれるから

デビューが決まったとき、年の近かった叔母が一緒に上京してくれました。当時は忙しくて深夜放送もあって、昼夜逆転の日々が多かった。洗濯物をちょっとためただけでも、よく叔母に怒られたものです。わたしとは対照的にどこまでも几帳面な叔母でした。一日の予定をきっちり決める性格だから、わたしが突然呼び出しても、「今日はシーツを洗濯をする日だから会えないよ」なんて言うの。まるで姉妹みたいに仲良しで、とにかくよく話したし、ケンカもしました。

その叔母がALSを患い、2018年に亡くなりました。最後の最後に想いを伝えたら、目を輝かせた。体は動かせないけど、ちゃんと聞いてくれてるんだなって。遺品整理のために叔母のクローゼットを開けると、ぴしっと揃えられた洋服が並んでいるの。それを見たら会いたくなってしまうけど、わたしが散らかしているところをみられたら、きっとまた怒られちゃうな。

 

80年代、「ロックの女王」「総立ちの女王」(1983年ころ)

 

わたしのファミリーツリーはどこにある

小さい頃、おじいちゃんのお寺によく遊びに行きました。お寺の敷地を駆け回っていたら、親戚の子が地面にズボッと足が埋まってしまって。そしたら、「そこはひいおじいちゃんが眠ってるところだよ」って(笑)。ひいおじいちゃんがここで坐禅を組んでいる……。幼いながらにびっくりしたのをよく覚えています。お寺の鈴を鳴らす瞬間は「天とつながる、お話する瞬間」。そんなふうに体感的にわかっていたような気がします。

日本での生活に疲れてしまって、逃げるようにしてロンドンで暮らした29歳の頃。わたしはここで生きていても死んでも誰にもわからないだろう、という根無し草を感じていたことがありました。そんなときに、チャールズ・ディケンズ博物館でファミリーツリー(家族が描かれた家系図)の絵に出会いました。その絵を見た瞬間、わたしの故郷は日本だ。わたしのファミリーツリーがあるのは日本なんだと、強く感じました。

 

 

愛おしい時間を家族とともに過ごす

この前、お仏壇の整理をしていたら奥のほうから親族の写真がたくさん出てきました。わたしが知らない人の写真を、どうして大切にできるの? だから母に、これは誰、これは誰、って一人ひとり聞いてみました。そしたら両親も知らない人が出てきたりしてね(笑)。いまここでわたしが聞いておかなければ、ファミリーツリーは途切れてしまう。家族のことを伝えていくのはとても大切なことだと思っています。

最近は自分の畑で野菜を育てています。いろんなことを振り返る時間にもなるし、いまだからこそ気づけたこともたくさんある。昨年の冬に、人生ではじめて皸(あかぎれ)ができました。こんなに痛いんだってはじめて知りました。親の介護をしているときも、何度も血が出てね。でも、この歳まで皸れもつくらず好きなことをやってこられたのだから、感謝しかない。愛おしい時間を過ごしています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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