Sotto

Vol.5

織物創作家

奥塩千恵さん

強く握ってくれた手

大好きなおじいちゃんの膝の上

わたしは台湾で生まれました。幼いころは、親の仕事の事情で里親のもとで生活していました。実の子のように育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんは、わたしにとってかけがえなのない存在です。戦時中に飛行機の整備士をしていたおじいちゃんは、手先がとっても器用で職人気質なひとでした。学校の宿題の工作はほとんどおじいちゃんがつくってくれました(笑)。おじいちゃんの膝の上に座るのが大好きだったなあ。隣でなにかの作業をしている姿を見るのも好きで、今でもその感覚が残っています。

おばあちゃんは美容師。いつもわたしのおかっぱ髪を切ってくれていました。3人でよくバイクに乗って出かけたっけ。9年間という時間をいっしょに過ごした大切な家族です。商人気質だった両親と違って、わたしはこのふたりに似たのかな、と思っています。

 

 

すべてが愛おしい、最期の半年間

その後、わたしは母と日本で過ごすことになりました。「この人がお父さんだよ」って紹介された日本人のお父さん。少し違和感を抱きながらも、父といっしょに仕事をしたこともありました。台湾の家族と日本の家族。難しいこともあったけれど、なんとかここまでやってこられた。26歳のころ、台湾のおじいちゃんが末期がんで入院しました。おばあちゃんがひとりで看病しているのが気がかりで、父が背中を押してくれたこともあって、台湾へ行くと決めました。ある晩、病院のベッドでおじいちゃんが、「いつもそばにいるからね」と言ってわたしの手を力強く握ってくれた。おおきくて、あったかい、おじいちゃんの手のぬくもりは今でも覚えています。

 

 

おばあちゃんからLINEが来た!

おばあちゃんは90歳を過ぎた今も元気に台湾で暮らしています。ある日、おばあちゃんからLINEで連絡がきたときは、もう、うれしくて、感動して、飛びあがりました。いくつになっても、新しいことを学ぼうとする姿勢が、ああ、おばあちゃんだなって。そういうところを見習わないとな。

むかし一度だけ家出をしようとしたことがありました。わたしが泣きながら出ていこうとすると、おばあちゃんも泣きながら、「一緒に出ていく」と言って荷物をまとめはじめたんです。そんな姿を見て、泣いていたはずのわたしは笑ってしまった。ほんとうにやさしいおばあちゃん。愛おしいです。

 

kocchi

 

朝に目が覚めるのと同じ

わたしの仕事場にはおじいちゃんの写真を飾っています。「いつもそばにいるよ」って言ってくれているように感じます。おじいちゃんを見送って、日本に帰ってきたときのこと。本屋さんで、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(作・絵 いとう ひろし)というタイトルの絵本が目に飛び込んできました。まるで、わたしとおじいちゃんのことを描いたような絵本で、これはきっと、おじいちゃんからのメッセージだ! って。おじいちゃんやおばあちゃん、大切な人のことはいつも想っています。それは決して特別なことではなくて、朝になると目が覚めて、春になると桜が咲くのと同じように、いつものことです。

 

(聞き手・撮影=加納沙樹)

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