Sotto

Vol.1

インテリアアドバイザー

森口潔 さん

伸ばした両手に巻き付けた、母の毛糸玉

「M」のワッペンが付いたおさがりのセーター

母は裁縫が得意な人で、わたしが小さい頃はよく手づくりの洋服をあつらえてくれました。ひとつだけ、母が「M」のワッペンを縫い付けてくれたセーターが苦手でね。Mは兄のイニシャルで、それがついたままなものだから、それを着せられるのがとっても嫌で。ただ、「なんでこのセーターを着ないの?」と聞かれても、母にはなにも言えなかった。なんだか悪い気がして。それでも、やっぱり着たくなくて、あまり着なかったんですけどね。

子どもの頃、母が買ってきた毛糸を玉にする手伝いをよくしていました。わたしが両手を伸ばして、そこに毛糸を巻き付けて、向こうで母がくるくると玉にしていた姿を思い出します。懐かしいな……。そのときのやりとりは不思議とよく覚えています。

 

主のいなくなった部屋に裁縫道具が残った

母が亡くなったのは今年の春でした。遺品整理をしていると、大小異なるいくつもの裁縫道具が出てきました。昔は大きなハサミにチャコペンなど箱いっぱいに道具を入れていましたが、年齢を重ねるごとに、自分でできる作業が減っていって、マチ針としつけ糸の入った小さな道具箱になっていったようです。部屋の片づけといっしょにあらかた処分してしまいましたが、昔ながらの懐かしい裁縫道具もいろいろ出てきておもしろかったな。布がたるまないように引っ張るための道具で、絎台(くけだい)っていうのがあって、L字の台の先端に洗濯バサミのようなものが付いていて、そこに衣類をひっかけて縫いやすくする道具みたいです。座布団の上に乗せて使っていたかな。今ではなかなか見かけないですよね。

母は物を捨てない人でしたから、仮縫いの糸がひとやま出てきたり、裁縫箱は部屋のあちこちで見つかりました。足ふみミシンも残っていました。なんでも自分で繕って直す、昭和の質素な暮らしが蘇ります。母の物が出てくる度に、昔のことを思い出しては懐かしくなり、なかなか整理は進みませんね。小さくなった裁縫箱だけは捨てずに残しています。

 

1956年 自宅前にて、母と兄と

“Break every rule.” (ルールに縛られない)

インテリアを販売していたときに家具のひとつとして仏具を扱うこともありました。お客さんには、「供養のあり方は自由でいいと思いますよ」と勧めていましたが、実際に自分が両親を亡くしたら、とたんに、やっぱり仏壇を置いたほうがいいのかな、と。漠然とそんな気持ちで仏壇を購入していました。いま思えば、自分の意思というよりは、親族やまわりの目が気になって、というのが大きかったのかもしれません。できるだけモダンなデザインの仏壇を選びましたが、最近は昔ながらの仏壇のほうがかっこいいなあ、と思ったりもします。

 

 

供養とは、こうでなくてはいけない、という決まりはないでしょう。わたしの好きな曲、ティナ・ターナーの“Break every rule.”ですよ! 人を想う、そのやり方にルールはないですから。人の死は神聖な領域だから、いい加減に踏み入れていいものではない。それゆえに、供養という分野には自由な発想が入りづらいのかもしれませんが、タブーはつくらないほうがいいと思っています。わたしにとっては母の裁縫箱を大切に残すことが供養そのもの。ひとつの道具を通して、母や昔の友人など、大切な人を思い出しながら毎日を暮らしています。人を想うことは日常です。そんなことを考える年頃になったせい、ですかね。

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

 

 

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