Sotto

想雲夜話

第6夜

遠いということ

 

「目から遠いと、心から遠い(Loin des yeux, loin du coeur.)」というフランスの格言があって、そうだよなあ、そうだよなあ、と、その言葉の力強さに気圧(お)されて過ごしてきた。でもいずれ、そう、いずれ、どちらが先かはわからないけれど、でもいずれ、大切な人は遠くへ去ってしまう。いのちというのはそういうもので、しかたがないことだ(N’est ce pas.)。が、せめて心の中には、いつも近くにいてほしいと願うのもまた、しかたがないことだろう。さて、どうしたものか。

遠いというのは、さみしいとは違う。と、考えてみる。あるいは、適切な距離感と言い換えてみる。そしてその距離感は日々の暮らしの中で、案外大事なものかもしれない。たとえば、仏教では、この世に未練を残さず仏(ほとけ)になることを〈成仏〉という。これでやっと成仏できるとか、このままでは成仏できないとか。悲しいけれど、成仏してほしい。さみしいけれど、あの世できちんと生きて(?)ほしい。成仏という言葉は、そういうふうに、目の前からいなくなってしまった大切な人の存在を、いつまでも近くに感じていたいと願うばかりの心に、もう会えないという事実を正面から受け止めるための、適切な距離感を示してくれているのだと思う。

そこの角をまがる。ついさっきまでいっしょに歩いていた人の姿が見えなくなる。その別れた瞬間の、見えないけれど、すぐそこにいる――角をまがれば、そこにいる――という感覚。その感覚はきっと、いずれ訪れる〈遠いということ〉を、適切な距離で、あるいは、さみしいとは違う心の持ちようで受け止め、そして前を向いて歩きなさい、という合図だ。

眼から遠いと、心から遠い。この言葉は、だとすれば、別れの苦しさや、会えないさみしさに直面したときに、大切な人を想いながらも、現実を受け止め、整理しようとしている、精一杯の努力の言葉なのかもしれない。

かなしく、さみしく、けれど、なつかしく、あたたかく――。そうか、それでいいのか。遠くの空を見つめて、そっと声をかけてみる。

 

🖊 平野有希

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