第18夜
どうどうと超えてゆけ
4年に一度のおまつりは夜更け過ぎにやってきた。みなが大きな声で叫びながら躍り明かしているにぎやかな舞台のその一隅に、忘れかけたモットーがひとりぽつんと立っていた。
Citius, Altius, Fortius.(より速く、より高く、より強く)
―― アンリ・ディドン
史上最多とか、過去最高とか、たしかに数字をならべてみれば、選手たちは過去の記録を着実に更新してゆく。更新されない記録などなく、いつの時代も人類は進歩しているのだ、と。だが、こらえて立ち止まれ。昨日が明日に届かないからといって、明日が昨日よりも輝いているとは限らず、過去が未来を追い越せないからといって、未来が過去よりも温かいとは限らない。
天を突く大木もいつか葉を落とし、やがて朽ち果てる。肉体は盛り、衰え、美は高まり、翳る。世の常とはそういうもので、それなのに、時代も条件も道具も、もしかしたらルールすら異なる土台の上に成立した記録をそれでも比べるとき、そこに見出そうとするものは何だろう。わたしたちは何を超えようとしているのだろう。
いまひとりの若者が未来をつかもうと突き進む。その顔の輝きは洋々たる前途を照らし、熱を帯びた背中はどこまでも頼もしく、その姿はまた、若かりしころの自分を思い出すような気がして、しかしそういうふうにして、あらゆるものごとは更新されて――。ああ、そうか。超えるとは過去をいとおしみながら、前へ進むことなのだ。比べられないはずのものを、それでも比べるとき、そこに見出すものが過去への敬意でなければいったい何だ。
わたしが、だれかを超えてゆく。だれかが、わたしを超えてゆく。そうして、だれかがだれかを超えるたびに、ひとつずつ、数えきれないほどに幾層もの敬意が積み上がって、その肩に立つわたしたちは、ゆえに、より速く、より高く、より強くなれる。前へ進むために過去を超えたいか。そこに敬意はあるか。あるならば、どうどうと超えてゆけ。正面からどうどうと、乗り越えてゆけ。
🖊 平野有希