Sotto

想雲夜話

第17夜

黄昏(たそがれ)の街

 

夏の夕暮れが好きだった。日が傾いて、風が出てきたころ、読みかけの本を手に六畳間に寝転ぶと、開け放った窓の網戸の向こうから近所のひとの声や車の音や犬の鳴き声が聞くともなしに聞こえてくる。しだいにわたしの心は浮き上がって、ただひとり、この世から離れて、静かに漂いはじめる――。昼と夜の境目、現実と幽玄の狭間、どちらともつかないクロスオーバー、そのわずかな時間がわたしの居場所だった。

すっかり陽が落ちて、それでも天井を見つめたままじっとしていると、買い物から帰ってきた母が、暗がりのなかにいるわたしを見つけて、また、そんなところで電気もつけないで、と蛍光灯のひもを引く。真っ白い光が畳の縁(へり)の模様を照らし、夜を告げる。

それで、外へ出た。丘の上の住宅街の小路をいっそう上へ上へと歩く。てっぺんにある小さな公園の手前の階段に腰を降ろすと、遠くの空には、まだかすかに夕焼けの色が残っていて、黄昏の街にぽつりぽつりと灯りがともりはじめた。

 

街の灯りちらちら あれは何をささやく
愛が一つめばえそうな 胸がはずむ時よ
――『街の灯り』堺正章

 

小さな家の一つひとつの窓のそれぞれに、それぞれの暮らしがある。みな、わたしと同じように、夢や悩みや感動や憤りを抱えながら生きているのだろうか。あるいは、わたしには思いもよらない苦しみや希望や喜びを抱えながら、それでも、生きることを選んだのだろうか。ひとつ、またひとつ、灯りがともる度に、声にならない声で問いかける。

そうして静かに並んでいる灯りを眺めていたら、説得とも、励ましとも、反省ともつかない熱いものが胸の奥から込み上げてきた。ああ、しっかりしなければいけないのだ。それで、立ち上がった。わざとリズムをつけて階段を下りてゆく。確信はない。信念もない。展望なんてもっとない。しかし、それでも、なにかをしなければいけないのだ。

 

夜の帳(とばり)が下りて、足元は暗くて見えない。しかたがないから、顔を上げて歩く。街の灯りがあちこちでささやいていた。

 

🖊 平野有希

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