Sotto

想雲夜話

第16夜

駑馬(どば)の兄弟

 

このごろ、できていないことがあまりにも多くてどうにも情けない。これはスランプだとか、生みの苦しみだとか、クリエイティブってそういうものだとか、カンヅメになったらいいのかなとか、そんな言い訳はすらすらと出てくるのに、肝心の筆はいっこう進まない。

そうしたら、そうだ、これを見てください、と言って、彼がA5サイズの、28ページほどの冊子をわたしにむかって差し出した。自分で文章を書いて、写真を撮って、レイアウトして、紙を選んで、印刷も製本も自分で依頼してつくりました。ずっとやってみたかったのです。さっそく間違いを見つけてしまいました、ほかにもあるとおもいます。文章も写真もまだまだです。レイアウトは見様見真似です。と、電車に揺られながら受け取った冊子のページをめくるか、めくらないかのうちに、こちらの顔をのぞきこむようにして、彼はまくし立てた。

いいんだよ、そんなことは。そんなことはどうでもいい。間違いがあるとか、クオリティが甘いとか、そんなのはたいしたことじゃない。自分の力で、実際に、かたちあるものをつくったことが何よりすばらしい。やりたい、やってみたいと言いながら、なにやら細かいことを気にして、いつまでたっても動かない人ではなく、拙くてもいいから、不十分でもいいから、自分の力でつくりあげる人、かたちにする人になってくれたことが、心からうれしくて、誇らしい。

 

夫驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣。

それ驥は一日にして千里なれども、駑馬十駕すれば、則ちまた之に及ぶ。

――『荀子』脩身篇

※驥(き)=優れた馬、駑馬(どば)=のろまな馬、十駕(じゅうが)=十回走る

 

そうだった。なんでもいいから、うまくやろうとせずに、できることを、できる限りのことをていねいに積み重ねてゆく。それだけのことだった。できる、の反対は、できない、ではなく、やらない、だ。できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。シンプルなことさ、ねえ、兄弟。

 

🖊 平野有希

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