Sotto

やがえふ~高岡鋳物の歴史と共に~

最終更新日
2024-05-16

初夏の兆しも見え始めた今日この頃ですが、夏といえばお祭りというイメージですよね。

瀬尾製作所が所在するここ高岡の地には、高岡鋳物の歴史とともに生れたお祭りがあるのです。今回は番外編として「やがえふ」についてお伝えしたいと思います!

 

「やがえふ」とは?

「画像提供:高岡市」

高岡鋳物が栄えた背景には、1611年に加賀藩二代藩主 前田利長公が現在の大阪である河内丹南より鋳物師を高岡の金屋町に招いたことが始まりとしてあります。

 

「やがえふ」というお祭りは、「御印祭(ごいんさい)」とも呼び、

 

藩主前田利長公より拝領した宅地を始め、多くの手厚い保護に対して報恩感謝の誠を捧げ、藩主のご命日にその遺徳を偲ぶために行われます。-富山県観光公式サイト とやま観光ナビより-

 

このお祭りでは「弥栄節」と共に踊りが行われますが、この歌が「弥栄節(やがえふ)」と呼ばれています。

 

歌の由来は、肉体的に厳しい労働中に歌われていたことから始まったようです。

高岡鋳物ということから、当時は「たたら製鉄」にて作業が行われていました。

弥栄節保存会のホームページによると、

 

たたら板(送風板)を踏む作

業は夜8時頃から翌朝の6時頃までかかるのが普通で、

12人で1組をつくり、二手に別れて交互に踏み続ける作業です。

この仕事は単純な作業ですが、

きわめて苦痛な労働であり、しかも、12人が一緒に

調子を揃えなければならない作業です。

そこで、疲れる心身を元気づけ足踏みを揃えるために

自然に歌われだしたのが、

「やがえふ」です。

 

とあり、たたらを踏み、製鉄、鋳物を作るというのは今とは比べものにならない程大変だったことがわかります。

近代化によりたたら製鉄の方法も機械へと変化していきましたが、先人への感謝の気持ちと共に現在まで「弥栄節」は受け継がれてきたのですね。

 

この「御印祭 弥栄節」は、今年も開催されるようですよ!

ということで、ここまでお読みくださりありがとうございました!

Sotto

森羅万象を尊び、神仏に手をあわせる。 故人を偲び、ご先祖を敬う。

私たち日本人が古来から大切にしてきた「祈り」の心は、時代を経ても、脈々と受け継がれてきました。 しかし、その「祈り」を捧げる場においては、家族構成や住環境が変わってきた今、少しずつ変化が求められているようです。
『Sotto』は、現代の暮らしにそっと寄り添う仏具です。 高岡銅器ならではの重厚さはそのままに、光沢感を抑えた金属の質感に自然木のぬくもりを合わせて和室にも洋室にも合うシンプルなデザインに仕上げています。 たとえば、家族が集うリビングスペースに。 あるいは、ベッドルームの傍のチェストにしつらえても。 仏壇を置くスペースがない和室にも馴染み、さりげなくインテリアの中に溶け込みます。
『Sotto』は、あなたの祈りの心を大切に、ささやかな“ 場” を作るお手伝いをします。